資生堂ヘアメイクアップアーティストの歩み
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資生堂ヘアメイクアップアーティストの歩み

資生堂ヘアメイクアップアーティストのHISTORYページが出来ました。

資生堂ヘアメイクアップアーティストの歩みを紹介するHISTORYページが出来ました。
是非ご覧ください。

https://hma.shiseido.com/jp/history/


1922年、これまでの“髪結い”の範疇を超えた、西洋の技術を持った本格的な美容師の必要性からアメリカ人の美容家ヘレン・グロスマンをNYから招聘しました。ヘレン・グロスマン自身がモデルとなって『新しい結髪と美容の講習と実演の会』を全国主要都市で開催実演し、『耳かくし』が普及。大正末期から昭和初期の女性のヘアスタイルを一新させました。これが、現在の資生堂ヘアメイクアップアーティストに脈々と受け継がれている活動であり、資生堂の美容技術発信のはじまりと言えます。

資生堂は1953年に高度な美容技術の研究や、資生堂チェインストア(化粧品店)向けの美容講習を行うことを目的に、『資生堂美容研究所』を設立しました。『資生堂美容研究所』はのちに『資生堂美容技術研究所』と名を改め、美容技術の研究に特化した施設となりました。さらに『資生堂総合美容研究所』『資生堂ビューティーサイエンス研究所』などと名前を変えながら、今日の『資生堂ビューティークリエイションセンター』至ります。

このように、資生堂は半世紀以上も前から化粧品を開発・製造するだけではなく、使用法と表現の研究を続けてきました。そしてその成果を、ポスターやCMなどの宣伝広告や企業文化誌『花椿』、店頭活動テキストなどで発揮してきました。その中核的役割を果たしてきたのが美容技術者たち、今日のヘアメイクアップアーティストです。

資生堂は『資生堂美容研究所』設立の6年後、1959年に『資生堂美容学校』を開校し、美容技術者の養成にも乗り出しました。さらに1986年には美容の大学院ともいえるヘアメイクアップアカデミー『SABFA』を開設、最高水準の美容技術の追求に着手しました。資生堂は、日本にまだヘアメイクアップアーティストという言葉がなかった時代から、高度な技術と感性を持ったアーティストの育成を続けてきました。

SABFAや資生堂美容学校(現在の資生堂美容技術専門学校)の卒業生が資生堂に入社するようになり、次第に美容のプロフェッショナル集団としての陣容が厚みを増していきました。その一方で1977年には、パリの若手デザイナー6名を日本に招聘して本格的なファッションショー『6人のパリ』をプロデュースしました。これが縁となり、パリコレクションにヘアメイクアップアーティストを派遣しバックステージでヘアメイクを行うようになりました。以来40年以上にわたり、パリコレでの活動を続けており、今日ではNY、東京コレクションにもヘアメイクアップアーティストを派遣しています。